面の象嵌に、磁土を入れる。これが坪島土平流の象嵌である。実を言えば、私はもともと絵付けが好きなため、ついつい描きこんで絵の面積が多くなってしまいがちになる。そこで、象嵌でスペースを区切ろうと考えた。それが最初の発想だったのである。象嵌は、一般には、共土を使い素地と違和感のないように文様などを表現していく。私の場合、土ものの素地に磁土という別素材を嵌め込み、文様ではなく面として表現する。別素材ゆえ収縮率が違うため、焼成には経験と確かな計算が必要である。

象嵌兎文透花器

金霧銀彩象嵌色絵椿鷺文長角大皿(写真提供:廣永陶苑)

灰被紅志野茶碗

灰被志野四方入水指(写真提供:廣永陶苑)

 

 私の志野は、美濃の人達から言わせると志野とは呼べないらしい。土も違うし、色目も独特、時には窯の中で炭酸ガスが釉薬と反応して起きるラスター現象が出る場合もある。しかし、それはそれで構わない。私は「これは土平志野や」と言っているのである。

 だいたいが、日本人はこだわりすぎるのではないか。志野はこうあるべき織部はこうあるべきと言って、これに当てはまらないと文句を言う人がある。しかし、考えてみれば、桃山期の志野は名品「卯花墻(うのはながき)」などをはじめ、多彩な流れのやきものがあった。現在の美濃では、ピンクがかったパーっとした緋色がないと志野と呼ばない。

 私の志野は、こだわらない志野だ。やきものの作り手は、自分は何何焼と自己規定して、それが世間に定着すれば安定するし値段も高くなる。だが私の場合「あの人は何作りかわからん」と言われても、こだわりがないので不安と思うこともあまりない。やはり「土平流でええのや」と思うのである。

廣永窯の立地私の少年時代半泥子のもとで修行坪島土平、独自の道土について釉薬について絵付けについて窯と焼成について土平の象嵌、土平の志野原点としての茶やきものはボディ(胎)である手が勝手に動く技術はプロ、精神はアマチュア


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