私のやきものを焼く登り窯は、半泥子の没後、昭和四十六年に築いたものだ。私を含め窯で働く地元の人々十数人が作業し、五日間で完成させた。千歳山から移した初代の窯より大きく、三室に分かれている。やや勾配がきつく煙突がないのも独特の姿であると思う。半泥子の参謀格で廣永窯の経営に辣腕をふるった故・藤田等風が、これを「五日窯」と命名した。
現在、この登り窯では年二回、窯入れをおこなう、薪は松材である。時間的には、焙りに一日、攻めと煉らしの焼成に三昼夜。夜は千三百二十〜三十度まで上げる。