廣永窯(廣永陶苑)は三重県津市・長谷山の山麓にあり、敷地は約二万坪。先師である川喜田半泥子がこの地に窯場を開いたのは、終戦の翌年(昭和二十一年)。満十七歳の私と半泥子との出会いも、まさにこの年であった。母の疎開先であった廣永村をたまたま訪れた私は、窯を構築していた師に声をかけられ縁もあって弟子にして戴いたのである。

 最初の窯は、半泥子が戦前に築いてあった窯(津市・千歳山の三日月窯)を移したものである。当時麓の村から窯場までは細い一本道があるだけで、窯や轆轤場を築く材料は苦労して人手で運んだ。半泥子が亡くなってからは、半泥子ゆかりの茶室(山里茶席)等を移築。また半泥子の息のかかった棟梁が建てた民家等を敷地内に移すことにより、現在の廣永陶苑の姿ができあがったのである。

 「ここ廣永窯の全体の造りは、心情としてお寺です。入口の山門にも先生自筆の『廣恵山』という扁額が掲げてあります。半泥子先生は若い頃から禅寺に参じ禅の修行をしていたんで、こうした造りになったのやないかと思います」

『廣恵山』の扁額

廣永陶苑は伊勢神宮の御用窯でもある。

 

廣永窯山門

現在の山里茶席。半泥子自らの設計による。 

廣永窯の立地私の少年時代半泥子のもとで修行坪島土平、独自の道土について釉薬について絵付けについて窯と焼成について土平の象嵌、土平の志野原点としての茶やきものはボディ(胎)である手が勝手に動く技術はプロ、精神はアマチュア


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