大きめの窯に使う土は、地元の長谷山近辺の土。象嵌する部分の磁土は、瀬戸のもの。土ものは、信楽か美濃の白い土。基本は、これぐらいである。

 半泥子は何でも使った、「おらが宿そこらの土も茶碗かな」と自作の戯れ句にあるように地元の土から、朝鮮、ジャワ、ベトナムの土まで手当たり次第に試した、しかし、何よりも土味を尊び容易な合わせ土を嫌った。

 この「土味を尊ぶ」姿勢は、もちろん私も受け継いでおり、合わせ土はあまりやらない。砂気が多く轆轤にかからない土には粘土(木節)を入れるが、せいぜい入れても二割まで。そうでないと、本来の土味が消えてしまう。

 いわゆる織部、黄瀬戸と称するものは、鉄分の多い土で作っては上がりがきれいにならない。やはり白い土が良く、私は美濃の土を好んで使う。磁土では伊万里等きれいな白を出せるものがあるが、土では美濃ほど白いものは貴重だと思っている。土は基本的に廣永で粉砕し、独自の土にしている。廣永の土は土錬機を使った粘土と違う。粉にして水を入れ、手で揉んで錬るという方法である、錬りたては水気が回らないのでサクい。揉んでしばらく室に入れておくと、水が均等に回ってそれなりの良さが出る。だが私は、揉んですぐの土でも、寝かした土でも、どちらでも良い。こだわらないのである。若い頃のことだが、朝、半泥子の自宅へ寄ると「今日は轆轤を挽きに窯場へ行くから、どれそれの土を揉んでおけ」と言われる。それを準備するのが私の仕事だった。

 「ある時、土の加減はどのくらいがええのですかと先生に何気なく聞いたら『お前が土を揉んでいて、この土で挽いたらええ気持ちろなと思った加減がいい』と言われました。それはその通りやが、その頃の私には禅問答のようなもんに思えましたわ」

 

 

 轆轤で挽かれ陰干しされている作品。このボディが大切と坪島氏は語る。

 

 

廣永窯の立地私の少年時代半泥子のもとで修行坪島土平、独自の道土について釉薬について絵付けについて窯と焼成について土平の象嵌、土平の志野原点としての茶やきものはボディ(胎)である手が勝手に動く技術はプロ、精神はアマチュア


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