作陶を始め、三十年くらいたった頃に節目が訪れた。年齢で言えば五十少し前だ。そこで半泥子とは違う己の道、坪島土平の道を開くことになったのである。
半泥子の作品は自分の世界、あくまで半泥子の次元にあるやきものである。私が半泥子と同じものを作っても、しょせん真似に過ぎず、イヤラしさばかり表に出てしまう。半泥子の茶碗はゆがんでいても、そこにどっかり半泥子が胡座をかいて座っておるから、世間に通用するのである。半泥子の場合「一生シロウト」と自ら表明したように、ゆがんでいようが欠けていようが自分が面白いと思えば、全く気にせず人前に出した。売れようが売れまいが、人がなんと言おうが構わなかった。自分が楽しんで作り茶を喫めれば良かったのである。
しかし、私の場合はやきものでメシを食うという意味のプロフェッショナルである以上、ゆがんだもの傷ものは、いかに自分が面白いと思っても個展等で人様の前に出すわけにはいかない。もちろん私も「こだわりを捨て遊び心を引き継いでいるが、さて作品にしようとすると話は別である。半泥子の精神を引き継いでいるが、さて作品にしようとすると話は別である。半泥子の真髄を織り込みながら、坪島土平独自のものを作っていかねばならぬ。半泥子の探究した精神から外れてしまうと廣永でなくなるが、かといって半泥子の世界に踏み滞ることは許されないのである。
|