川喜田半泥子先生と坪島土平先生

南青山寿賀  菅 正男

 広永窯は三重県津市郊外長谷山麓に位置する。約二万坪を有する陶苑内には、池あり、松林あり、竹林あり、茶席あり、と陶源郷のようである。それは あたかも光悦の鷹が峰の芸術村を連想させる。この広永窯を創設したのが昭和の光悦と呼ばれた川喜田半泥子先生である。そして現在は愛弟子の坪島土平先生に受け継がれ半泥子先生の精神を守りつづけている。また、広永の食器を知らずして食器は語れないと言われるほど、茶人や懐石料理に造詣の深い人たちに愛され使われている。それでは半泥子先生、土平先生とはどんな人物なのであろうか。土平先生が半泥子先生のもとに入門したのは、昭和21年、土平先生17歳、半泥子先生67歳のときである。土平先生が半泥子先生より教えられたのは、陶芸の技術よりはむしろ人間としての生き方、哲学であったという。確かに、若いころ禅の修業をした半泥子先生の言動、生き方には、私の頭の中にある雲を吹き飛ばすパワーがある。おそらく土平先生は毎日そのパワーをたたきこまれ、吸収していったのであろう。そして半泥子先生の茶碗は禅的な産物と言われ、土平先生もまた自作の説明を求められると「私のは精神的なものだから」と煙に巻く。初期からの土平先生の作品を見ると、乾山風、奥田頴川風、織部、志野、焼シメ、古伊賀風、染付け、赤絵、色絵、象嵌など多種多彩な技法が見られ、何物にもこだわらない自在性を見ることができる。今現在の陶芸界においても、これだけ多彩な技法を持ち、その上さらに、すばらしい作品を作れる陶芸家は見当たらない。そしてその発想の独自性、轆轤のすばらしさ、品格のある絵付けの自由さ、遊び心のある作品は、一度使うと他の物は使えないほどの魅力を持っている。土平先生の作品には常に「修、破、離」を見ることができる。すなわち、学んでいる部分、自分のものとした部分、そして独自の創造の世界である。この世界は、さき深く、無限の世界、果て無き世界だと言う。土平先生の口から出る「山中無暦日」、「只管只土」、「日日是精進」、「登歩寒山道、寒山山路不窮」などの禅的思考法は、土平先生作品の今日までの流れを見れば、はっきりと現れ出ている。土平先生の作品には、確かな技術と半泥子先生仕込みの禅哲学が打ち込まれているのである。

 土平先生の作陶は多品種多作主義であり、分業主義はとらない、この多作が工芸の本来の姿である。ただその多作が芸術性に根ざしているかどうかが「職人」との分かれ道と言える。総じて固定観念にとらわれない土平先生の作品には、品格があり静の中に強い生命力(動)が感じられる。一方、半泥子先生は自称「シロート」であったが、その修練と努力はクロートの陶工を超えるものがあり、やはりたいへんな多作家であった。そして約束事にとらわれない独創的な茶碗、半泥子先生でなければ作り得ない茶碗を生み出し、「お茶の飲める茶碗は今は半泥子」とまで評されている。半泥子先生の茶碗に見られる生々と勢いのある「ロクロ」が生み出す自然な線と形、無心の境地で心と力のイケコロシを出した線描は、宇宙の果てまで広がっていく醍醐味を見せてくれる。

 この「ロクロ」の線描が焼き物のボディ(body)にあたり、土平先生も釉薬や絵を取り去ったボディこそ焼き物の命(イノチ)であると言う。そして、そのボディが何を求めているかを素直な心で感じ取り、釉薬掛けや絵付けをすると言う。半泥子先生も土平先生も人を見るときは、器と同じようにボディを見るという。本当に力のある人(器)は、どこに居ても何を着ても光っているという事である。この半泥子先生と土平先生の作品における、ざんぐりとした味わいのあるロクロ造型と自由自在の筆使いは、視覚、皮膚感覚、触覚等五感を通して、我々観るもの、使うものの心に楽しさや安らぎを与えてくれるのである。

 そして土平先生は、次のように述べている。技術はあくまでもプロでなければならぬが、考え方はアマチュアのほうが良い。アマチュア精神は、ある意味で好奇心につながるものだ。一見馬鹿馬鹿しいと思える事でもやってみる精神。これを失ってはいけない。それが、玄人になると「先見え」してしまう。「こうやって、ああすれば、そうなると決まっている。それなら、こっちの方がええから、新しい事はやめとこ」と、なるのである。私は、こうした玄人にはなるまいと思う。アマチュア精神、つまり馬鹿馬鹿しいと思えることでもやってみる「遊び心」あればこそ、新しい発見も生まれるのである。

 また半泥子先生も乾山と仁清を比較して次のように述べている。仁清は玄人であるから、作品に面白味がない。乾山は「シロート根性」を失わなかったから、轆轤の上手下手に関係無く、個性があって面白い。玄人に面白味が無いのは「おのれ欲せざるになす」からであり、しろうとは「まず興起りてなす」から面白いものができる。そしてそういうシロートこそ良い芸術をなしうると言う。すなわち新鮮な出会いがあるからである。勿論、その新鮮さを絶えず保たねば成らない。乾山にも半泥子先生にもそれがあったのである。

 以上のように半泥子先生の精神を土平先生はしっかりと受け継ぎ守りつづけているのであるが、作品を見ると土平先生は自分の世界と言うものを創作している。作品の90%が茶碗である半泥子先生に対し、土平先生の作品は茶碗はもとより大燈篭、大壷、大皿、鉢、台鉢、水差し、花生け等の大物から香炉、香合、向こう付け類、さらには風炉先屏風、掛け軸等の絵にいたるまでたいへんな作域で、しかも一つ一つどれをとっても昔の名作をしっかりと理解した上で、自分の独創性を発揮しているのである。故藤田等風氏の言葉「まこと弟子恐るべし」とは、このことであろう。古希を超えても「陶芸の道いまだなかば」と、轆轤を回しつづける土平先生、これからどんな作品がでてくるか、楽しみにしているのは私一人ではないであろう。

 

参考文献:『おれはろくろのまわるまま』千早こういちろう著日本経済新聞社

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